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短波初めて訪問記 | ||||||
横山 哲也 | ||||||
私も、最初のスタジオ訪問は大阪でした。 京都に住んでいたのですが、そもそも大阪はあまり行ったことが ないし、(電車で30分から1時間以内です) 京都には三越もなく「北浜三越のライオンのゾウの前」と 言われても本当にたどり着けるのか不安でした。 でも、特に問題もなく集合でき、ぞろぞろと 大阪支社に歩いて行きました。 人数が多いので、2回分入れ替え制になりました。 私は後の回だと思うのですが、待っている間に 何をしていたのか記憶にありません。 照子さんはいるはずもなく、ほぼ全員初対面の中、 何かしゃべった記憶もないんですよね。 スタジオでは、汗をかいていたら、照子さんにふられて「暑い」と 言ったらそのアクセントは「厚い」だとかそんな話をしたと思います。 で、かかった曲が尾崎亜美の「マイピュアレディ」。 ちょうど春の化粧品キャンペーンの頃でした。 翌日、京都駅に集合して、ずっと歩いて五条通から清水寺、岡崎公園に 抜けたような気がします。 一緒にいた女の子は照子さんの姪御さんだったでしょうか。 確か、ようこちゃん... 違ったか。もうすっかり大人なんでしょうね。 その後、東京に行ったときは川野和博さんが たまたまいらしてました。 スーツを着ていらしたのを覚えています。 03/03/02(Sun) 01:04:22
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短波初めて訪問記 | |
あくびの天使 | |
前略、照子さん (←25年前もこの書き出しです) 僕は、みんなと違って、最初の短波スタジオは大阪でした。 78年にヤロメロの最初の大阪公録があって、 予定より人数が多すぎて会場を大阪支社に急遽変更でしたね。 当時高校生の僕は、みんなと照子さんについて、 ゾロゾロ歩いたことを覚えてます。 それから、大阪支社の会議室?でペンネームだけ 書いたはがきを照子さんに渡して紹介してもらった こともありました。 初めて東京のスタジオ訪問は、78年4月です。 当時、僕は18歳の新入社員で家電販売店で研修中。 だから平日が休み。 たしか、2回スタジオに遊びに行きました。 2回共、他の人に圧倒され、サインをもらう事もなく、 そばで見ているだけでした。。。 (何故か、室谷○子さんからはサインをもらって いるのですが) でも、虎の門駅から短波に向かう途中で、 真っ白なドレスを着た(周りに誰も付いていない) 照子さんに逢いました。 そして挨拶をしたことが一番の思い出です。 03/02/19(Wed) 23:50:11
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短波初めて訪問記 | ||||||
金内 英樹 | ||||||
18歳の冬、季節労働者として初めて東京に行き、 雨や雪が降らないと仕事が休みにならず、 雪が降らない冬なんて冬じゃないといつも思いながら 過ごすうち、ようやく休みになった日、 さあと思い、ドッキドキ気分のままさあ短波へ。 初めての地下鉄銀座線で虎ノ門、そして地図を片手に 日本短波放送へ、確かに看板はあったけど、 そこから先、勝手にビルの中に入いっていいのか 困っても誰もいなく、勇気を出してエレベーターに 乗って6階に日本短波放送の文字を見てまずは一安心。 それからドアーが開くと、待ち焦がれてた世界が ぱぁーっと開けた感じでした。 そこから先は、夢の世界、知らない人たちばかり、 スタジオまでたどり着き放送風景に直面、 百聞は一見にしかず、ラジオから聞こえてた音、 まさにその通り、見えるラジオでした。 放送が終了してからも周りは沢山の会話、 加えてサインや握手、こんなことがあったのかとびっくり。 手ぶらで何もない、今度来たら絶対にと思い 何もなく帰る途中、受付にふっと目が行き、 いろいろな短波の製品が並んでるのを目にして、 ここに来れば、短波の話についていけると思いながら、 夢心地のまま帰ったのを記憶しています。 それが印象に残っているのか、いまだたんぱに 行っても、見えるラジオのまま。もともと喋るのが 苦手のせいか、観覧一筋のままみたいです。 03/02/13(Thu) 18:57:28
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初めてのスタジオ訪問記 | |
末廣清志 | |
初めてスタジオにおじゃましたのが、 サイン帳の日付から、おそらく間違いは無いと思いますが、 1977.2.19(土)となっています。 大学受験の為、北海道から上京した折りに、 時間の合間をみてうかがいました。 (当時は…ギャングパークでしたが…) 新宿から地下鉄に乗り換えて、いざ向かうに連れて、 徐々に緊張度が高まった「ドキドキ感」は今でも憶えています。 虎ノ門の駅で降りて、日本短波放送の社屋に入って、 受付で「大橋さんは、いらっしゃいますでしょうか?」 緊張度は頂点に達していました。 しばらくすると、仕事中にもかかわらず、 お見えになった大橋さん。 今もそうですが、何かオーラを発せられているような、 キラキラと、まばゆいばかりに輝く姿がありました。 この時、初対面。 確か、望月さん、中野さん、高野さん、高田さん、小山さん、加藤さん、 山崎さん、伊庭さん、西島さん、千葉さん……とか、 大勢のリスナーがいらっしやいましたっけ…… 私は昔から細かいことが好きで、 番組に関連した内容の「ギャンパ新聞」を書いて送ったりもしていました。 (番組用のネタでもありましたが……) その後結成した「全国大橋照子連盟」(ALTO…通称アルト) で会報を発行するようになりましたが、 数多くあった支援・応援団体の中で、会報を発行するようになった団体としては、 さきがけの存在であったことを自負しています。 それとは別に、リスナーの全国分布表もこまめに作った記憶があります。 03/02/11(Tue) 13:40:12
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初めてのスタジオ訪問記 | |
村田明夫 | |
短波のスタジオに初めて行ったときは、私はもう社会人になっていて、21歳位の頃です。 照子さんがヤロメロで読み終えた原稿を分けて、来ていたリスナーたちにあげていました。 私ももらえてうれしかった。 アナウンサーの読む原稿は、きちんと清書されていたものと思っていたので、殴り書きの原稿をすらすらと読んでいたのには感心したのを憶えています。 また、趣味の写真を始めた頃で、スタジオの様子を写真に何枚か撮って、自分で現像しました。カメラはもちろんペンタックス。 帰りにカメラバックに照子さんにサインを書いてもらいました。バックは今も大切にしてあります。 03/02/11(Tue) 13:39:10
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