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木嶋 賢さん ( 秋田県 )
 

木嶋賢( まさる )さんの笑顔


遠くから渡ってくる風が心地よく新しく感じられるのは、この広々とした田が田植えを終えたばかりだからでしょうか。

秋田県由利郡、木嶋賢さんの家は、そんな美しい日本の原風景の中にあります。

私達が木嶋さんのお宅に着いたとき、賢さんが窓から元気な笑顔で手を振って下さるのが見えました。

太陽のような笑顔です。

 
 

木嶋賢さんのこと

木嶋賢さんは、1959年9月5日生まれ。
小学生の頃は元気な少年で、「いたずらっ子で、大変だったんですよ」とお母様は
目を細めて話されました。
体の具合の変調に気付いたのは 小学校6年の春。4月から日赤に入院したけれど
病名が分からず、7月に新潟の大学病院に入院して、ウイルソン病と分りました。

「小学校は一学期一ヵ月半くらい 三学期一ヵ月半くらいしか行ってません。
一応小学校の卒業証書はもらいましたよ
そのあと、中学も高校も行ってません」

賢さんご本人のお気持ち、そしてご両親のご心痛はどんなだったでしょう・・。

「小学校の時の同級生僕の家に遊びに来たの これまでたった二人です
同じ町に住んでる人いるけど 誰も遊びに来ません」


それでも賢さんは、明るさをなくすことはありませんでした。
トーキングエイドで会話し、ラジオを聞き、パソコンで世界を広げていったからです。

「今年の3月までヘルパーさん来るの週2回だったんだけど、僕なんでも独りで出来るから 4月から週1回になったの」

お父様、お母様が仕事に出かけられる間、賢さんはひとりで留守番するのです。

「であいのこんさぁと」

秋田では、毎年「であいのこんさぁと」という演奏会が開かれます。

「障害者が作った詩に 素人が曲付けて発表するの。
このコンサートでは、障害者も出来ることはなんでもする。
舞台演出 音響 照明も全部自分たちでするの。
手作りコンサートです。
とても心温まるいいコンサートです」

賢さんは、詩を書くのが大好き。

「これまで詩は12回入選して 曲付いたの5回、朗読されたの7回です
今年のであいのこんさぁとは10月10日です」

賢さんは、まっすぐで透き通った心を、美しい言葉で表す天才だと、私は思います。
賢さんの詩を、このホームページの「心のつぶやき」(作品集)のところでも少しずつご紹介していきましょう。

「ポエム」

賢さんの詩は、あふれ出る泉のように、賢さんの心から次々に生まれ出します。
こうしたポエムは、色々なところで紹介されました。

ラジオたんぱの番組 「私の書いたポエム」
(毎週日曜、午後8:30〜9:00)
http://www.radionikkei.jp/poem/
でも何度か読まれて、リスナーに感銘を与えています。

また、「JA広報誌」でも、1996年8月から2000年3月まで連載され、
11市町で賢さんの詩は、読まれていました。

木嶋さんの作品集「心のつぶやき」

賢さん自身でまとめた詩集「心のつぶやき」には
何十篇もの詩が、美しく綴られています。
「一昨年、であいのこんさぁとのキャンプに行った時、
インストラクターの上野さんと一緒にカヌーに乗りました。

初めは、水怖くてしり込みしてたの。

だけどみんなに勧められて乗ったの。

乗ってみたらとても楽しかったです。

まるでミズスマシになったようでした。」


トーキングエイド


この「であいのこんさぁと」の実行委員の方が、木嶋さんに「トーキングエイド」を教えて下さったのだそうです。
トーキングエイドを使い始めて、もう10年になります。
すっかり今では木嶋さんの身体の一部になったような「トーキングエイド」。
普段の会話はもちろん、うまい冗談もたくさんスピーカーから飛び出して来ます。

筆談と違って、トーキングエイドは声が聞こえるので、お父様もお母様も自分の用事の手を休めることなく、賢さんの意思を聞くことができます。

「トーキングエイド」で会話中

◎ トーキングエイドについては、http://www.talkingaid.net/ をご覧下さい。


ラジオ


「大橋さんの番組"ヤロメロ"を聞き始めたのは 18歳の秋ごろからです
テレビで何も面白いのやってなくて ラジオいじってたら聞こえてきたのがヤロメロでした」

ラジオは画像が見えない分、イメージを膨らませながら聞くことができる・・・
というか、聞かなければいけない・・・というか。
ですからラジオのリスナーには、想像力豊かで、多感で、頭の良い人が多いのです。
賢さんも、まさにその通りの方です。

「僕記憶力は誰にも負けない自信あるんだ」

「一緒に何か資格試験の勉強でも始めてみましょうか・・?」と私。
きっと、賢さんに負けてしまうでしょう。記憶力・・・最近さらに低下の一途を辿っていますから。

◎ ラジオ番組「大橋照子のテルネット・イン」は、こちらのホームページからどうぞ。
http://www.dokidokiradio.info/

 

パソコン

賢さんは、こうも教えて下さいました。
「照子さん渡米する前の年の秋 兄さん(注・お姉さまのご主人)ワープロのこと教えてくれて 買ってくれたの。もう少し早くワープロのこと知ってれば 照子さんの番組ヤロメロにはがき出せたのになぁ」

私が渡米したのは1985年。
・・ということは、賢さんがワープロを使い始めたのは、1984年の秋・・・時代の先取り!早いですね。
その当時、まだ世の中一般にはワープロは出回っていなくて、タイプライター全盛でしたから。
やっと1990年くらいからでしょうか、ワープロが普及して、パソコンも漸く100万円くらいで個人が買えるようになったのは。
いいお兄様です。
ワープロのお陰で、賢さんの詩も次々に生まれたのですから。

パソコンでネットを繋いだり、ポエムを書いたり・・

今、パソコンはもう賢さんの一番の友達。
インターネットをさっさ〜と繋いで、日本中のどこのページへでも遊びに行けて、日本中の人へメールを送れます。
パソコンは、広い世界と賢さんを繋いでくれています。

お父様もお母様も
「いや〜、私達はパソコンのことなんか全然わからん。全部、この子が自分ひとりでやっています」

 

 
 

絆はさらに強く

秋田の木嶋さんのお宅を訪ねて、賢さんの笑顔に出会え、
トーキングエイドでたくさんの話をして、
一緒にネットを繋いでページを見て、
そしてすがすがしい空気の中を散歩して。
あっという間の一日でした。

もうお別れ・・というとき、私達の乗った車のあとを、電動車椅子でどこまでも追いかけて来て下さった賢さん。
車の窓から手を振りながら、私は大きな感銘を受けていました。

賢さんの強い生きかたや、全てのものへの熱い情熱は、
どんな苦しいことにも負けず、
けっして諦めることのない
私が今まで見たこともないようなパワーで、迫ってきました。

賢さんの巧みな詩に秘められたまっすぐな心と強さでどうぞこれからもお元気でいらして下さい。
また、トーキングエイドやパソコンでお話を聞かせてくださいね。

文 大橋照子

 

ご両親と一緒に記念写真(大橋も一緒に)

2003年5月


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