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茉本亜沙子さん
 

出会い

小さな雨が、流れるような霧に変わる頃、私達は千葉県にある「E苑」に着いた。
身体障害者療護施設「E苑」は、落ち着いたたたずまいの中に静かに建っている。
亜沙子さんの個室に案内された・・。誰もいない部屋。
6畳ほどの広さにベッドがあって・・それから・・ええ?
私は目を見張ってしまった。机の上に置かれたデスクトップ・パソコン、ビデオや
テレビ、電話やファックス・・・。
設備や環境が、普通の会社の事務所と同じじゃないですか。

ドアの外に人の気配がした。
「亜沙子さんのお帰りですよ」
介護の方の声とともに、音もなく電動椅子がスゥッと入ってきた。
その電動椅子の上で、照れたように笑う亜沙子さん! 
はちきれそうに明るい笑顔が輝いていた。

 
 

茉本亜沙子さんのこと


つらい話なのだけれど。
1980年、亜沙子さんが中学1年生のとき―― 10月8日の朝だった。
制服を着て登校中に・・・横断歩道で、居眠り運転のトラックにいきなりはねられてしまったのだ。
50日もの危篤状態が続いた。
漸く意識が戻った亜沙子さんを、大変な診断結果が待ち構えていた。

脳幹部中枢神経挫傷。
まだ13歳だった彼女は、運動神経麻痺のため、手、足、顔、唇、舌、声帯など筋肉を使って行う動作のすべてができなくなってしまったのだ・・・。
手足が動かない、声も出せない、食事もトイレも自分では何もできない身体。


「きっと悪い夢をみているのだ、と平常心を保とうとしたけれど、寝ても覚めても状況は変わらない。医学でも家族の愛情でもどうしようもない事態を、何とか自分の力で乗り越えたかった。でも耳に入る声、目に入る人の姿――それらは私には、ねたましく、うとましくて・・いっそのこと知的障害を持って、自分の状態が理解できなくなっていればよかった、という誤った考えさえ頭をよぎったのでした」

しかし、それからの亜沙子さんは、後ろを向いたり、立ち止まったりすることはなかった。
まず、自分の意思を伝えるために「五十音表」の文字盤を指差してもらって、かすかに頷くことから始まった。
「私は自分の言いたい文字を伝え、両親は私の返事を見逃すまいと目を凝らして、私の思いを推察していく・・・それだけが意志の伝達方法でした」

そこで立ち止まる亜沙子さんではない。
「身の回りのことを全てしてもらうことで妥協している受動的な自分に気付き、このままでいいのだろうか・・と考えるようになりました」

翌年には、電動車椅子に乗り、唯一動かせた首を使って顎で操作できるように改良してもらう。
頭にはヘッドスティック(頭にかぶって、おでこから出た棒を指代わりにする補助具)を作ってもらい、それで仮名タイプを打ち、本のページをめくり、ヘッドスティックの先に筆やペンを付けてもらって、字や絵を書く練習も始めた。
新たな生きがいを見つけては、信じられないパワーで、前へ前へと突き進んでいく亜沙子さん。

1982年、在宅訪問教育制度が始まり、地元の中学へ籍を置いて、
    訪問教師と2年遅れで勉強を開始。

1985年、自宅で卒業式。
    県立F肢体不自由児養護学校高等部に入学。
    そして無事、卒業。

1988年には、1ヶ月のシルクロードの旅へ参加する。
「『障害者は重度から選考。全介助でもなるべく介護をつけないで参加してほしい』・・
待ち望んでいた言葉に、私は心が弾みました。しゃべることも、手足を動かすこともできない私が、初対面の人々と旅をすることができ、私は世界一の幸せをつかんだように、自分の中に将来への自信が蓄積していくのを感じました」

1988年、S大学のゼミにも聴講に通う。ワープロが活躍。

この頃から「トーキングエイド」(合成音声機)を正式に使い始める。
「トーキングエイドによって、周囲との会話数が大幅に増えて、外出するだけではなく、知識や情報をたくさん集めることができるようになりました」

1997年、ワープロからパソコンへ。
 パソコンを使って、電話、ファックス、Eメール、インターネットができるようになる。

パソコンをヘッドスティックで操作

 


 

「トーキングエイド」で
誰とでも自由に会話

1998年、自著「車椅子の視点」(メジカルフレンド社)を出版
2000年、共著「面白きこともなき世を面白く」(ふこく出版)を出版


今、亜沙子さんは「トーキングエイド」を使う障害者の皆さんの為のホームページ
「ハッスル倶楽部」内、「トーキングエイド倶楽部」の編集者でもある。
* 「ハッスル倶楽部」http://hustle-club.com/ 内
「マツモトアサコのトーキングエイド倶楽部」


今や亜沙子さんは、ご自身が障害者であることを越えて、健常者以上に前向きに積極的に障害者のための活動をしている。

亜沙子さんのこの言葉は、重い。

人は、何かを失って、何かを知る。
自分が知ったことを否定的に受け止めるか、
肯定的に受け止めるかで、その人生は大きく変わっていく


文 大橋照子

ナムコ福祉事業部のスタッフの方々と記念写真

ナムコ鈴木理司部長 大橋照子
ナムコ新居田有紀さん 、茉本亜沙子さん、ナムコ石井櫻子さん

2003年6月


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