しかし、それからの亜沙子さんは、後ろを向いたり、立ち止まったりすることはなかった。
まず、自分の意思を伝えるために「五十音表」の文字盤を指差してもらって、かすかに頷くことから始まった。
「私は自分の言いたい文字を伝え、両親は私の返事を見逃すまいと目を凝らして、私の思いを推察していく・・・それだけが意志の伝達方法でした」
そこで立ち止まる亜沙子さんではない。
「身の回りのことを全てしてもらうことで妥協している受動的な自分に気付き、このままでいいのだろうか・・と考えるようになりました」
翌年には、電動車椅子に乗り、唯一動かせた首を使って顎で操作できるように改良してもらう。
頭にはヘッドスティック(頭にかぶって、おでこから出た棒を指代わりにする補助具)を作ってもらい、それで仮名タイプを打ち、本のページをめくり、ヘッドスティックの先に筆やペンを付けてもらって、字や絵を書く練習も始めた。
新たな生きがいを見つけては、信じられないパワーで、前へ前へと突き進んでいく亜沙子さん。
1982年、在宅訪問教育制度が始まり、地元の中学へ籍を置いて、
訪問教師と2年遅れで勉強を開始。
1985年、自宅で卒業式。
県立F肢体不自由児養護学校高等部に入学。
そして無事、卒業。
1988年には、1ヶ月のシルクロードの旅へ参加する。
「『障害者は重度から選考。全介助でもなるべく介護をつけないで参加してほしい』・・
待ち望んでいた言葉に、私は心が弾みました。しゃべることも、手足を動かすこともできない私が、初対面の人々と旅をすることができ、私は世界一の幸せをつかんだように、自分の中に将来への自信が蓄積していくのを感じました」
1988年、S大学のゼミにも聴講に通う。ワープロが活躍。
この頃から「トーキングエイド」(合成音声機)を正式に使い始める。
「トーキングエイドによって、周囲との会話数が大幅に増えて、外出するだけではなく、知識や情報をたくさん集めることができるようになりました」
1997年、ワープロからパソコンへ。
パソコンを使って、電話、ファックス、Eメール、インターネットができるようになる。
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