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ヤロメロとの出会い | |
金内 英樹 | |
25年前ヤロメロが始まった年、学校生活から 社会に出た年、就職せずに家業のお百姓さん、 農家の米つくりや養蚕などをしていました。 楽しみはラジオを朝から晩まで聴くことでした。 ラジオは大切な友達でした。そんな中、良いことに、 短波の聴けるラジカセがありました。 新聞のラジオ欄には、ギャングパーク、ヤロウども メロウどもOhの文字が載っていたのを記憶しています。 短波だから株式や競馬などばかりと思っていましたが、 チューニングを合わせてみたらとても楽しい、 確か広告欄に、ヤロウどもメロウどもOhがラジオ 番組紹介として掲載されていたように記憶しているのですが、 定かではありません。 それから毎日、田んぼで畑で毎日、ヤロメロの音が 鳴り響いていました。土曜日も、日曜日もというのがまた良く、 それから長い付合いになっています。 いつから聴き始めたかといわれると、特定できないのですが、 ヤロメロが始まったばかりの頃だと思います。 優しそうで素敵な声、思わず鎌や鍬を手に笑わせてくれる 会話やお便り、何といってもこれが、心をグーンと 惹きつけました。それから毎日5時になるのが、 待ち遠しく思いながら過ごしていたように思います。 03/02/10(Mon) 22:04:24
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なんだったっけなぁ〜? | |
獅子舞チェリーズNO7 | |
ギャングパークからの流れでヤロメロも聞いていました。 じゃあ、ギャングパークを初めて聞いたのはいつで? どうしてだったか?となると記憶がないのです。 いつだったかと言うのは実家に帰ればログブックが 残っているはずなので調べることは出来ると思うのですが…。 やっぱりBCLブームだったからでしょうね。 学校のクラブ活動などで欠かさず聞くことは できませんでしたが、照子さんのQSLカード もらって喜んで、雑誌に照子さんが紹介されていると 切り抜いてクリアホルダーに入れて学校に持って いったりしてましたねぇ。 当時の我が愛機はRF-1150+ミズホのDX555でした。 BCLはじめた直読ラジオはなく、直読が出た時には そこまで出せるお金はなかったんですねぇ〜。 DX-555で「直読」にしていたんです。 NSB聞くには不要でしたけど。 なんてことない事ですが、こんな歳になって25年以上も 前のことを振り返ることがヤロメロのHPでできると いうことに感謝します。 03/02/07(Fri) 20:33:27
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私の聞き始め | |||||||||||||||||||||
Mr.樹仁亜 | |||||||||||||||||||||
私たちの世代は、男子がBCL、女子がBCRという時代でした。 私も、S社のちょっと当時では考えられない、洗練された すごくかっこいいTVCMに魅せられてICF−5800、 5900を手に入れ、クラスの火付け役になりました。 ラジオを購入して、一番最初に受信する局(海外の)は どこがいいかと考えた時、やはり王道はABCかなと思い、 31mバンドにダイヤルを合わせました。 そのとき、パイロット局として受信したのがNSBです。 ラジオを手にしたうれしさと、初受信の緊張と、 どうしてもスタートのワルチングマチルダと 笑いかわせみが聞きたいという思いが重なり、 何時間も前からスイッチ入れっぱなしで。 そしたら聞こえてきましたよ、まだオバン扱いされる前の声が。 何やってるのかさっぱりわからない内容に、 妙に引き付けられてしまい、聞き始めから聴き続けることに。 注: ・BCR(本国ではまったく売れず、日本の若年層 女子のみにうけたグループ) ・ABC(朝日放送ではない) ・パイロット局(目的局を受信するため、とりあえ ず合わせる近くの受信しやすい局) ・31mバンド(放送帯域を中心周波数の波長で表 す呼び方。9MHzのあたり) 03/01/28(Tue) 21:27:53
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あなたの聞くための苦労物語 | ||||||
遠藤 康之 | ||||||
短波を聞く苦労話は、ワンタッチタイプじゃなく ダイヤルタイプのラジオだったので やはりチューニングでしょうか。 スポンサーさんには悪いんですが、CM中に3つの 周波数でどれが一番いいかダイヤルを回していました。 それと、学生の時は帰宅部だったんで リアルタイムで聞けたんですが、 社会人になってからは留守録だったので、 前日のチューニングがすべてでした。 中波は、僕の住んでいる所(家の中)は 電波の谷間なのか地元の放送局くらいしか入らず、 ラジアメも、しゃべりばも聞けませんでした。 03/01/28(Tue) 21:31:03
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中波受信のこと | ||||||
GPSの達人 | ||||||
中波は深夜の二時とかの放送でしたね。 そこでタイマ録音なのですが、 ナイタ−があると時間がずれて聴きそこねていました。 あとは寝付かれない夜にたまたまきくという感じでした。 03/01/28(Tue) 21:34:11
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ヤロメロの聴き始め | ||||||
川口 智章 | ||||||
私が「ヤロメロ」を初めて聴いたのは、中学1年の冬でした。 当時はBCLをやっていて主に国内中波放送が 主でしたが、ある日学校から帰って来て何気なく 短波帯のダイヤルを回していると、ラジオのスピーカーから スタジオに遊びに来ているリスナーの笑い声と 明るい女性の声で「お便りの宛先は、日本短波放送・・・」 その時、これが新聞のラジオ欄片隅に掲載されている 「日本短波放送」であると判明しました。 それから毎日のように学校が済むとヤロメロを 聴いていましたが殆ど隠れリスナーでしたね。 他にも日本短波の番組は、「QSOジョッキー」 や「初級ハム講座」を聴いたりして当時の電話級 アマチュア無線技士の免許も取りましたし その後も電信級第二級、第一級アマチュア無線技士と・・・ たんぱをキッカケにしてアマチュア無線の趣味は 未だに続いております。 そして今でもラジオ少年の心は当時のままです。 そんな「たんぱ」と「ヤロメロ」に出逢えたことに 感謝しています。 03/01/28(Tue) 21:32:48
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聞くのに苦労したこと | ||||||
Mr.樹仁亜 | ||||||
当時、東北の片田舎に住んでた私にとって、 一番苦労したのは、ポップスベストテンです。 7:10〜8:00という時間帯と すぐ隣に地元局が有るため、受信は非常に厳しく、 夏場はまったく聞こえません。 夜が明けるのが、遅くなるにしたがって、 だんだん聞こえる時間が増えてきます。 しかし、いつから聞こえだすか分からないので、 毎週ダイヤルは合わせてしまう。 一番悲しいのは、番組の途中で照子さんの声が、 雑音に埋もれながらフェイドアウトしていくことです。 上京して、何が嬉しかったかって、ポップスベストテンが 55555で聞けたことです。 (すぐ終わっちゃったけど) 03/01/28(Tue) 21:29:06
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聴くための苦労物語 | ||||||
末廣 清志 | ||||||
私は、「聞く」と言うよりも「聴く」でしたが、 とにかく受信するのに苦労がありました。 今はどうなのか、当時は札幌市内の北西部に、 日本短波放送の無人の電波塔があり、 この影響で、ある時間を境に入りが良くなったり、 突然入りが悪くなったり、 特に午前中の受信は、 何を言っているのか判らないくらいの状況でした。 (3周波数とも駄目) よって、「お早うございました〜!」で終わる 「ミュージック・アラカルト」は最悪の受信状況。 他に特番もあったりして、ほとんど駄目でしたね。 私も色々と聴いていました。 富永○子さんとか、小野寺○子さん、大宮○○子さんに、 室谷○子さん………。 03/01/28(Tue) 21:30:06
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聞くために苦労した物語 | ||||||
小原 浩司 | ||||||
短波は、ラジオがなかったので苦労も何もありませんでした。 しかし、中波を聴くには深夜まで起きていなければならず、 なかなか聴けなかったように思います。 ナイターが延長になろうものなら、開始が午前3時とか 4時のときも…。 日曜日の深夜に布団にもぐりこんで放送を待つのは 「修行」に近いものがあります。 今日は聞けそうだ、と、思っていても、ひとつ前の 五木寛之さんの番組で寝てしまってました。(苦笑) 03/01/26(Sun) 22:37:43
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聞くために苦労した物語 | ||||||
あくびの天使 | ||||||
僕が、聞くために苦労したこと? なんでしょうね。 25年前なら、時間を忘れてしまうことでしょう。 多分、第1回目の放送も、時間を忘れて遊んでたのです。 それから短波の受信状態次第で、慌ててQSYすることも、 しばしばありました。 今は、オンデマンドがあるので、忘れても、用事が あっても大丈夫ですね。 (ホントは昨日までオンデマンドがいつでも聞ける とは知りませんでした。。。) 03/01/26(Sun) 22:35:19
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