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聞き始めというよりも | ||||||
短波のカビ | ||||||
私の場合は、友人と始めたCandiesのミニ新聞で 照子さんの話を聞きにラジオ短波(当時は日本短波放送)に 直接アポなしで行ったのが始まりでした。 今考えると、随分思い切ったことをしたものです。 03/01/26(Sun) 22:34:29
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聞き始め | ||||||
高木 繁 | ||||||
私の場合、「愛の風は風力3」の新聞広告で、 照子さんの評判(親衛隊に送り迎えされるDJ?) が契機です。 さっそく聞いてみようと思ったのですが、家に短波の ラジオがない。 探した結果、父親が大学生時代に作った5球スーパー という真空管のラジオにSW(短波帯)があり、 これを物置から取り出して聞いていました。 最初に聞いた日は、風力3の巻頭のグラビアについて、 「どの衣装が貸衣装か」ということを話していたシーンを、 妙に覚えています。 聞くのに苦労した点は、やはり時間帯。 中学・高校と部活をやっていたのでいつも タイマーで録音していました。 タイマー設定をミスったり忘れたりして聞き逃し、 悔しい思いをしたものです。 「大学に入ったらスタジオに行くぞ」と思っていましたが、 大学でも部活をやってしまい、またタイマー録音。 結局部活を引退する大学4年の秋までタイマー録音。 結局この年の3月にヤロメロが終了してしまいました。 そういえば、ラジアメも聞き難い時間(深夜)で、 これも録音して聞いていました。 03/01/26(Sun) 22:33:44
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たんぱ聞き始め | ||||||
渋沢 忍 | ||||||
私が初めてたんぱを聴いたきっかけは、 ある本のラジオパーソナリティ特集にでていた 大橋さんの記事を読んだ事でした。 今から約20年前だったでしょうか? ちょうどヤロウどもメロウどもOHから日本全国ヤロメロどん に変わった頃だったような気がします。 ヤロメロを聴くために新しいラジオを買いました。 ラジオを聴くようになったのは、約30年前におじいさんが 拾ってきたラジオを大切にして聴いていたのですが、 そのラジオにはAMとFMのほかにSWというバンド切替が ありました。しかし、当時小学生だった私はSWという 意味が分からず、ラジオはアンテナが壊れていたために SWにあわせてもビービーガーガーいっているだけで 何も聞こえませんでした。もしこの時短波を聴くことが 出来ていればもっと早く大橋さんと出会えたと思うと ちょっと残念な気もします。 03/01/26(Sun) 22:32:13
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聴き始め・・・ヤロメロ・いじめ・そしてテルネット・イン | ||||||
greenrose | ||||||
私の「聴き始め」は、中学1年のときです。 当時は皆さんも書きこみされていますが、 「BCLブーム」でした。私は、兄から貰った3バンド ラジカセで、ヤロメロを聴き始めました。 ラジオたんぱ(当時は日本短波放送でしたよね)を 知ったのは、確か「短波」という雑誌があったと思いますが、 その記事からです。 混信・ノイズ・フェージングをかき分けて、 聴いていました。「株・競馬・ラジオ講座」という 印象が強かったので、ヤロメロは、良い意味で 「場違いの面白い番組」と聴いていましたが、 いつの間にかハマっていました。 当時、照子さんは、アマチュア無線の番組も 担当されていましたよね。 あの番組で、私は「電話級」の免許を取りました。 中学2年になる時、山形から山口に転校しました。 その時に、待望のBCLレシーバー(ICF−6800)を 買ってもらい、またヤロメロを聴き始めました。 でも、山口で私を待っていたのは「いじめ」でした。 「どこぞの田舎者がやって来た」とばかりに、 いろいろないじめに遭いました。 挙句には、ごく一部の先生まで(冗談半分だと 思いますが)加わるようになり、 「何で私だけ・・・」と、思いっきり落ち込んでいました。 子供心に、「もう世の中にいなくてもいいのかな・・・」 とまで思い詰めていましたが、「ヤロメロ」を聴いて、 「この番組があるんだ・・・」と、励みにしていました。 いじめが収まった頃、高校受験が近くなり、 いつの間にかヤロメロを聴く時間もなくなりました。 そこから、テルネット・インを聴くまでは、 まったくの「空白」です。 照子さんがテレビに出ていた事や、中波に出ていた事も 知りませんでした。 長い長い空白の後、昨年の5月、その時に買って もらったBCLレシーバーが壊れて、新しいBCL レシーバーを探しに、仙台に行きました。 本当は「ポータブルDATレコーダー」とどちらを買うか、 直前まで悩んでいたのですが、結局新しいワールド バンド・レシーバー(ICF−SW77)を買う事に しました。ここでラジオを買っていなかったら、 「テルネット・イン」は、ひょっとしたら 「永久に」知らなかったのかも・・・と思うと、 不思議な縁のようなものを感じます。 ラジオを買って、余りにもチューニングが簡単なのに ビックリしながら、いろいろといじっていた 「運命の5月4日」の土曜日、たまたまラジオたんぱに ダイヤルを合わせていた夜7時、あのテーマ曲が・・・。 そうです、「テルネット・イン」が聞こえて来たんです!! 照子さんの声が聞こえて来た時は、言葉がありませんでした。 あまりに嬉しくて・・・。 それから、インターネットでホームページを開いている 事も知り、またハマってしまい、今に至っています。 こう書くと、人生の「節目」に必ずたんぽの存在が あった事に、改めて驚くます。 そして、あの時に照子さんの声を聴いていなければ、 今の私はなかったのだと思います。 改めて「心の恩人・命の恩人」である照子さんに、 「本当にありがとう」と言いたいと思います。 これからも、体に気を付けて、楽しい番組を作ってください。 P.S. ヤロメロを聴いていた時のBCLレシーバーは、 今も大切にしまってあります。 03/01/26(Sun) 22:29:28
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BCLからヤロメロ・リスナーに | ||||||
栗原@北九州 | ||||||
僕がヤロメロを聞くようになったきっかけは、 BCLです。 小学校5・6年生頃にアマチュア無線に興味を 持ったのですが、免許を取ることはなく(勉強嫌い!)、 短波つながりで、当時ブームになったBCLになりました。 そして、BCLの情報番組が放送されているということで、 日本短波放送(NSB)の「ハロー・ジーガム」 「BCLワールド・タムタム(タモリさんと富永アナ)」 などを聞いていたところで、ヤロメロも聞くようになって、 はまってしまったと思います。 電波状態はおおむね良かったけど、放送がほとんど 聞き取れないくらいにノイズが多い時もあって、 イライラする日もありました。 今では、インターネットのオンデマンドで テルネット・インを聞いていて、時代の変化を感じますね。 03/01/26(Sun) 22:26:05
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ヤロメロを聞くきっかけ | ||||||
遠藤 康之 | ||||||
中学の時、短波の入るラジカセを買ってもらったのと、 その頃からの深夜放送やBCLでのラジオブームが ラジオ番組にのめり込むきっかけでした。 ヤロメロを聞いたのは高校1年の夏休みなんですが、 TVCMで「ワライカワセミの声で始まる ラジオオーストラリア」ってのがあって短波放送に 興味がでだした頃、日曜日の5時からいつも聞いていた 山陰放送の「柏村武昭のサテライトbP」を ちょっとした浮気心で、短波放送は何をやってるんだろう と思ってダイヤルを回していた時に、にぎやかで 楽しそうな番組が聞こえてきたんです。 それがヤロメロです。日本に短波局があるなんて 知らなかったんで、最初は「どこの国の日本語放送 だろう」って思ってました。 次の日も聞こうとダイヤルを合わせると昨日と違って 男の人の声。そう、月曜日は照子さんじゃなくて 友川かずきさんでした。 03/01/26(Sun) 22:24:29
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初めて照子さんの放送を聞いた日 | ||||||
横山 哲也 | ||||||
私もギャングパーク世代の多くの方と同じようにBCL世代です。 といっても、NSB(ラジオ短波)は、JH1WWS青木小夜子さんの 「ぼくらのアマチュア無線局」を聞くくらいでした。 なお、この放送が、後に「QSOジョッキー」になった わけではありません(たぶん)。スポンサーも違うし。 で、照子さんの放送を聞いたきっかけは、新聞で 「ミュージックアルバム」を見つけたことです。 でも、具体的になぜかは覚えていません。 かすかな記憶では「照子」と書いてあったからだと 思うのですが、よく分かりません。 放送自体は、それ以後、毎回聞くようになりました。 葉書もすぐに送っているはずです。 そのうちに、キャンディーズ情報局が始まり、 ギャングパークが始まり、ヤロメロが始まった次第です。 もっとも、ギャングパークの時間帯は家にいることは少なく、 それほど聞いていなかったように思います。 よく聞いていたのは、ミュージックアルバムか、 ミュージックアラカルトですね。 特に、ミュージックアラカルトは(早朝にもかかわらず)、 他の担当者の時も(他の担当者の方を?)よく聞いていました。 03/01/26(Sun) 22:22:02
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聞き始め | ||||||
あくびの天使 | ||||||
僕の場合、少なくともギャングパーク1回目の放送の 3日前には聞いていたのは間違いない訳だ。。。 (ヤロメロ25周年会場で証明済み?) あの頃のラジオはソニーのスカイセンサー。 ということはBCLが趣味として騒がれだした頃。 当然、短波なら肝付兼太サンの「ハロー!ジーガム」の頃。 ということは照子さんとの出逢いはミュージックアルバム? あまり覚えはないけど。。。 ラジオは新聞配達をして小遣いを貯めて買ったから、 夜更かしは殆ど出来なかったはず。。。 すると照子さんとは運命的な出逢い? 03/01/23(Thu) 23:08:39
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短波の聴き始め | ||||||
小原 浩司 | ||||||
「テルネット・イン」の初回の放送を オンデマンドで聴きました。 しかし、三十分間電話をつなぎっぱなしということに 抵抗があったので、安い短波ラジオを買いました。 ところが、感度が悪くほとんど聴けませんでした。 (不幸な出会い…) それから、SONYの9バンド対応のラジオを買って 聞いてます。 今、思えば、中学のときにラジカセより短波ラジオ を買ってもらえば良かったと…。 短波ではないのですが…、夜中につけっ放しにしていた ラジオから、笑い声が聞こえて思わず目を覚まして しまったのが「大橋照子」さんとの出会いです。 03/01/23(Thu) 23:07:41
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たんぱを聞くようになったきっかけ | ||||||
末廣 清志 | ||||||
よ〜く思い出すと、 当時、現役の大学受験生で、 「大学受験講座」を聞くために、 スリーバンドのラジカセを買ってもらった……… に端を発しています。 中波の深夜放送も、「ながら」で聞いていました。 「鶴○のオールナイト・○ッポン」 「小島○慶のパックイン・○ュージック」 「落合○子のセイ・○ング」等々…… そんな折り?やはり、アイドルにあこがれて、 私の場合、「キャンディーズ」に熱を上げていましたが、 某ミーハー月刊誌に「キャンディーズ情報局」が、 たんぱで放送されていることを知って、 「大学受験講座」はさておいて、 この情報局をこまめに聴き始めたことが、 そもそもということになります。 新聞のラジオ欄を見ても、 何時からオンエアーされているのか判らず、 最初は朝から晩まで、ず〜っと聴いていた記憶があります。 辿り着いて?番組を聴いた時の感想。 『ピーピー、キャーキャー…… やかましいパーソナリティーだなぁ〜!』 『「今日、キャンディーズは長崎の○○ホテルに 泊まります。遊びに行ってあげて下さ〜い! 明日は○○時発の全○空○便で広島に向かいます。」 だって〜?ファンが殺到したら、どうするんだろ……』 でした。 03/01/23(Thu) 23:06:27
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